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2010年6月19日 (土)

イリーナ・メジューエワ レクチャーコンサート@朝日カルチャーセンター

「ショパンvsシューマン」シリーズの2回目。
解説はメジューエワと音楽評論家の真嶋雄大氏。

今回は「憧憬とファンタジー」というテーマで、ショパンとシューマンの幻想曲が取り上げられました。

【演奏プログラム】
シューマン:幻想曲 op.17
ショパン:幻想曲 op.49
ショパン:幻想ポロネーズ op.61

演奏は相変わらず素晴らしいものですが、やはりカルチャーセンターの教室のピアノと音響が貧弱なのが寂しいです。

特に、ショパン:幻想曲は先日、きちんとしたコンサート・ホールで聴いて圧倒されたばかりでしたので、余計、差を感じてしまいました。

シューマンは、第2楽章あたり、腰を抜かすかもと身構えていましたが、意外とおとなしかった。
第3楽章はシンフォニックで素晴らしい。

幻想ポロネーズはメジューエワでは初めてでしたが、緊張感があり豪快。やはりホールで聴きたかった・・・

カルチャーセンターだけに、とても勉強にはなりました。

シューマンは頭の中に理想の音があって、それに憧れている。夢の世界を追っている。まさにロマン派ど真ん中である。ピアノを弾く現実の身体(手)のことなど考えていない。
湧き上がるアイデアを次々に書き記すばかりで、それを最後どう解決するかまで考えていない。
音楽の中に「人物」が背後霊のように現れている。

ショパンは厳密に形式を守り、古典的。
音楽をきっちり収め、無駄がない。
ピアノを弾く身体(手)のことも計算にいれており、技術的に難しいながら自然で無理はない。
音楽は音楽であり、そこに何かが投影されているわけではない。
詩的である、ということは形式を重んずるということ。

そんなレクチャーを受けながら、両者の幻想曲を聴き比べると、なるほど、シューマンはとらえどころがなく、不安定でイメージが拡散するばかりであるのに対し、一応ロマン派ということになっているショパンの華麗な音楽が、きっちり古典的であることがよく見えてきた気がしました。

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