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2010年1月12日 (火)

ポリーニの「バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻」を聴いた

去年のリサイタルで、もう往年のポリーニの「らしい」演奏は望めないのだと諦めがついたところに、バッハの平均律を出してきました。
バッハならもしや、という期待と、バッハでもやはり、という不安が交錯するなか、試聴をして第1曲のプレリュードを聴いたところ、聴くに値するかもしれないと思い、買ってみることにしました。

2日間かけて聴き終わりました。

やや早めのテンポでよどみない。
大仰なデュナーミクやアゴーギクとは無縁の自然で素直な音楽の流れ。
きついスタッカートは使わず、レガートと、やわらかめのノンレガート。
ペダルは多用し、それなりに響かせる。
エッジのとれた、柔らかな音。
しかし、感情が乗ったホットな音というものではない。
昔と同じく、音そのものの響きと造型をそこに置く
ただし、その響きと造型は昔のようにきらめく輝きに満ちてはおらず、鋭利なエッジも削られている。

これがポリーニの到達した円熟か。

ここ数年発売された、ショパンの何枚かよりはずっと良い。
技術的にヒスを起こすところはなく、ペダルによる響きの中に音楽が埋まってしまうこともない。

バッハを、普通に、美しく、てらいなく、音として鳴らす。
枯れて力が抜けたナチュラルバッハ。

しかしである。
過去のポリーニに耽溺したものとしては、こういう枯れ方で良いのだろうかとも思ってしまう。
音楽の構造をえぐり出し、鋭利に、普通では聞こえない音まで聴かせていたあの若き頃の超絶技巧。その演奏には、完璧なものだけが有する「凄み」があった

平均律を弾くポリーニに、もう「凄み」はない。
優しくピュアにバッハと向かい合う枯淡した精神があった。
これが、ポリーニの最高の境地というのには、やや寂しい気がする。

全曲聴き比べはとても無理だが、1番と2番をいくつか聴いてみた。

ポリーニとほぼ同世代のアシュケナージも数年前に出しました。
アシュケナージの演奏は、ポリーニの客観的なナチュラル演奏とは対局にある、主観的で親密な表現。ショパンのようです。フーガになると、スタッカートを多用し、ペダルはあまり使わずはぎれの良さを表現しつつ、やはり、随所に歌わせがはいります。
かなり作為的な感じがして、癖があるという感じではあります。

名盤といわれるリヒテルの演奏。
これはもう、昇天してしまいそうな演奏です。
優しい部分を本当に愛おしく弾く。激しい部分は怒濤の響き
それでいてただの直情ではなく、十分コントロールされている。
芯がしっかりあり、かつ硬直しない、驚異的に美しい音。
そして、とろける響き。
フーガの旋律もはっきりしている。
柔と剛、優しさと激しさが同居している

そして、デーモンのグールド
1番にしても、2番にしても、とくにプレリュードはもう普通の演奏家とはアプローチが違いすぎて、比較にもなりません。
エキセントリックではありますが、なぜか、聞き込むうちに、だんだん耳について、抜け出せなくなる。
フーガはもちろんノンレガートとスタッカートを多用してはぎれよく、乾いており、フーガの旋律のそれぞれをくっきり浮かび上がらせる、素晴らしい技術。
空前にして絶後の、誰も真似ができない領域。

じっと瞑想にふけりながら聴くのなら、ひたすら音楽に浸るポリーニ盤で良いのかもしれない。
でも、そこに楽しさ、遊び、優しさ、激しさ、苦しみや解放といった感情を味わいたかったら、リヒテルやグールドを聴きたくなるなあ。

ヌーブルジェには、ぜひ今の若いうちに、あの鮮烈で水がはじけそうなバッハ演奏の録音を残してもらいたいものです。

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