ヴァン・クライバーンコンクールの模様を観て
昨日の記事の続きです。
ここ数年、ピアノ・リサイタルに足繁く通うようになって感じているのが、海外演奏家の自己主張の強さです。
今回、辻井伸行の追っかけ番組を観て、同じことを感じました。
上位の残る海外ピアニストたちの、自己主張の強いこと強いこと!
演奏も雄弁なら、シャベリの方も堂々たるもの。
全く臆していません。
少々鼻につくくらいです。
(ただし、演奏は雄弁といっても、テクニック的な雄弁さが目立ち、音楽的にブラボーと言えるかは別です。)
その中で辻井伸行は、見ていてハラハラするくらい寡黙。
いろいろ周囲が気を使ってくれていても、自分の気持ちを自分で伝えることができない。
一番印象的だったのが、ラフマニノフのコンチェルトのリハーサルで、指揮者と最終楽章終結部のタイミング合わせをしている部分。
数拍の間をおいて、オケとピアノによる劇的なコーダが始まるので、タイミングがずれたらだいなしです。
そこをどう合わせるかで、指揮者が一生懸命、辻井に提案をする。
1,2,3と数えて合わせてみようか、などと。
数度合わせてみて、なかなかうまくいかなくても、辻井はただ黙っているだけ。
ようやく、通訳とおぼしき人が「辻井は指揮者の呼吸に合わせると彼のマネージャーが言っている」と指揮者に伝える。
指揮者はわかったということで、今度はオケに合図をする直前、意図的に大きな呼吸をする。すると、辻井は見事にそれに反応し、とうとう合わせることができた。
本番のその部分の模様も放映され、見事に合っていました。
でも、そこで思いました。
なぜ、辻井は自分から「呼吸で合わせます」と、自分で指揮者に伝えられないのかと。
彼の視覚障害者としての今までの境遇が、彼をシャイな人間にしてしまったのか。
彼の音楽は、まだライブを聴けていないので、あまり確定的な論評は控えたいと思います。
少なくとも、サーカス芸的な演奏が多かった他の演奏家より、好感を持てたことは確かです。
自己を主張できないシャイな彼の音楽からは、何が伝わってくるのか。
彼が演奏にに入ると、音しか聞こえない彼の独自の音楽の世界が、しっかり主張となって伝わってくるのか。
いずれはライブを聴いて確認してみたいと思いました。
※ちなみにヌーブルジェの演奏は、技術的にも音楽的にも、もちろん、とても雄弁。プログラム構成もおおいに自己主張。
そして、話のほうも雄弁です。
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