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2009年6月24日 (水)

ヌーブルジェ・リサイタル@サントリーホール~ファンとは身勝手(^_^;)

過去の記事をつらつら眺めていて、我ながら随分矛盾しているなあ、ということに気がつきました。

奇しくも、1日おきに、ツィメルマンとヌーブルジェを聴いたわけです。

ツィメルマンの弾いたベートーヴェンの32番ソナタの、特に第1楽章は、どうもベートーヴェンの「後期らしい」寂寥感が乏しいとか書いてしまいました。
おそらく、ツィメルマンは、第1楽章と第2楽章の対比を表現したかったのだと思われます。
そのため、格闘しているような第1楽章の表現、聴いているうちに熱情ソナタのような激情を感じてしまうような表現
になったのでしょう。
このことが「様式的な違和感」として、私は感じてしまった。

ヌーブルジェのハンマークラヴィーアソナタは、明るく壮大な和音と、猛スピード、そして、ノリノリのリズム感で、ベートーヴェンの「情熱」を表現したものでした。
しかし、ハンマークラヴィーアソナタだって、ベートーヴェンの後期のソナタです。
もう少し渋く、内省的な表現が、もしかしたら様式的に正しいのかもしれません。
ところが、ヌーブルジェの若々しくも鮮烈な演奏は私の心をとらえて離さない。

この違いはなんなのだろう?
と、理屈を並べたところで、音楽による感動など所詮、感性の問題に集約されてしまうことでしょう。

なぜかと言えば、私はヌーブルジェのファンだからであって、なぜファンかというと、好きだからファンなのです。

ここで、またあるセリフを思い出してしまいました。
ドラマ「冬のソナタ」で、ミニョンがユジンに言ったセリフです。
「本当に好きな時は、理由なんてないのです」

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