2012年9月18日(月)
14時開演
横浜みなとみらい 大ホール
【前半】
モーツァルト
ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
【アンコール】
モーツァルト
ピアノソナタ 第16番 変ロ長調 K.570
【後半】
ショスタコーヴィチ
交響曲第4番 ハ短調 Op.43
東京交響楽団
指揮=ヴァシリー・シナイスキー
ピアノ=デジュ・ラーンキ
コンサートマスター=大谷康子
モーツァルトは大好きだけれどショスタコはあまり知らない私含めた2人と、モーツァルトは大の苦手だけれど、ショスタコは大好きな1人。
でこぼこトリオで、横浜みなとみらい に出向きました。
ソリストのデジュー・ラーンキといえば、35年ほども前に、アンドラーシュ・シフ、ゾルタン・コチシュとともに、ハンガリー若手三羽がらすの一人として、もてはやされました。中でもラーンキは、今で言う“イケメン”度№1ということで、人気も№1でした。
そのラーンキもロマンスグレーの温和そうなおじさんとなり、地道な精進による円熟の境地を、一昨年リストのプログラムで堪能させてもらったばかりです。
モーツァルトの演奏はもともと定評があるので、この日のコンチェルトはとても楽しみでした。
第1楽章アレグロ。まずオーケストラが静かで短い序奏から主題を提示します。
音量を抑え、ヴィブラートも控えめの、ピリオド奏法に近い、かなりスッキリとした音の作りです。
短調への、ちょっとした転調が美しい。
モーツァルト晩年の寂とした境地。
そしてピアノが主題を引き継ぎます。
おや、耳がまだ慣れないのか?
ピアノの音が霞に包まれたように、ほんわりと柔らかに、エッジが取れて、丸みを帯びて、控えめに響いてきます。
5分経っても、10分経っても音色が変わりません。耳はもう慣れているはずです。
そう、これがこの日のラーンキの一環した主張だったのです。
まるでまだ楽器ととしての完成をみていない、フォルテピアノを奏でているような、柔らかで優しい音色。
決して焦らず、インテンポで、それでありながら、淀みがない。
サポートするオケも、まったくでしゃばることがなく、響きの少ないピアノの音を消し去ることがない。
展開部に入った時の、オーケストラの息を飲む転調。
時代を100年先取りするような。
いけない、いけない、戻らなくては、とモーツァルト。
ピアノとオーケストラの、いかにもおしゃべりしているような掛け合い。
長調、短調、長調、短調とめまぐるしく曲想は移ろい、クラシカルで美しい室内楽的アンサンブルに、気分はとろけるようです。
主題は戻り、時折ピアノは最初とは違う装飾などもみせる。
カデンツァはモーツァルト。
ここでもラーンキは、慌てることはない。
同じソフトな雰囲気を保ちつつ、カデンツァ自体の多少の華麗さを、控えめに演出する。
第2楽章ラルゲット。
まずはピアノのモノローグ。
遅すぎず、速すぎず。妙な感情移入もなく相変わらずのインテンポを保つ。
モーツァルトらしい、一番の聴き所ともいうべき、その直後のオーケストラの主題の受け。
盛り上がって、フッとピアノに落とす、そのタイミングや良し。
シナイスキー、わかっています。
初見でも弾けてしまいそうな、超シンプルな中間部の旋律。
演奏家の精神がすべて透けてしまう、恐ろしい部分。
ラーンキには、まったく聴き飽きることがない。
適度な集中が保たれ、シンプルな音の運びに、目も耳も釘付けにされる。
淡い弱音なのに、音が、収容2000人余の空間に、幸せに満たされる。
第3楽章アレグロ。モーツァルトピアノ協奏曲最後の境地。
うっかりすると、ただ、明るく軽妙に終わってしかねない、これも危険な楽想。
心配は無用でした。
タッタラッタラーの跳躍は、微塵の軽薄さもなく、一環した丸みのある柔らかなタッチで奏されます。
2回のアイガンクはあまり遊ばずに、モーツァルトから離れず溶けこんでいる。
転調、転調、また転調、色が変わる、雰囲気が変わる、微笑みから悲しさへ、光がさすかと思うと、ほの暗い影が落ちる。
はぁ、天才、モーツァルト。
モーツァルトのカデンツァ。
オケのカデンツァへのほわっとした受け渡し方がステキです。
そして、これも転調の嵐。
スケールで上り、下り、上り、下り・・・
たったそれだけなのに、なんという快感。
ロンド主題が戻る。
いよいよ最後の最後、いくぶん、ほんのいくぶんテンポが上がったかもしれません。
ピアノがタッタラッタラー、オーボエがタッタラッタラー。
オケのラスト、クァルテットのように、クラシカルにフワッと落とす終止。
期待していたとおりの終わりかたでした。
ブラボー!
聴いているときはうっとりでしたが、拍手を重ねているうち、なんだか胸がいっぱいになってきて、同じく心ここにあらずといった風のお隣の友達と顔を見合わると、思わず目頭が熱くなってしまいました。
モーツァルトのピアノ協奏曲をライヴでこんなに堪能したのは、ヌーブルジェのジュノムを聴いて以来です。
ラーンキのテクニックは、特にアーティキュレーションが見事で、レガート、ノンレガート、スタッカートなどをきっちり使い分け、モーツァルトの様式感を厳格に表現しようする意識が高かったと感じました。
そして、さしてソフトペダルを踏まないにもかかわらず、終始保たれた柔らかで抑制された響きを作り出すタッチは、驚異的でした。
鳴り止まぬ拍手に応え、アンコールを1曲。
モーツァルトのピアノソナタK.570から第3楽章。
コンチェルトと同じ音色を保持したまま、まことにチャーミングで繊細な音楽でした。
ここまでで、すでに大満足のコンサートとなりました。
まだリサイタルのチケットを入手していなかったので、コンサートの後、さっそく購入してしまったのは言うまでもありません。
天へ召されたような気分を味わい、半ば呆然自失の休憩の後、ショスタコーヴィチの第4交響曲に挑みました。
ショスタコは最近でこそ、ピアノトリオやクインテット、クァルテットの一部などを聴くようになったものの、交響曲は私にとってまだまだ馴染みが薄い分野です。
事前にある程度予習していったものの、長いし難解ですから、ほとんど初めて聴くようなものでした。
結果、正直途中落ちかかったところもあったものの、なかなか楽しめたと思います。
大曲ですから、一度で構造が理解できるまではとうてい至るものではありません。しかし、部分部分の旋律や曲想には、惹かれるところが何カ所もありました。
弦がユニゾンでザッザッザッザッザッザッと弾くあたりとか、第3楽章の俗っぽくて人を食ったようなメロディーとか、ラストのツーーーーーーという弦の弱音のベースにチャランだのポロンだのと音を乗せつつ曲を閉じるところとか、おおいに気に入りました。
ピアノトリオや、クァルテットなどでも使われる、いかにもショスタコらしい冷厳に計算尽くされた作りというところでしょうか。
第1楽章の高速フーガも目を見張りました。
大喜びのタコ好き友人の大きなばんざい拍手に応えてシナイスキー氏がこちらを振り向いてくれたのにはびっくりしました。
しかし、また気になるジャンルが増えてしまい、生活を圧迫しそうで怖いものがあります。
前半は天にも昇る心地良い世界、後半は、脳みそを引っかき回されるような刺激的な世界を一度に体験し、友人たちとも感動をともにでき、実りの多いコンサートでありました。
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